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吉祥寺いせや公園店──煙の向こうにある記憶と今

吉祥寺の街歩きに欠かせない名店「いせや」。今回足を運んだのは、井の頭公園の入り口にある「公園店」。昼下がり、木漏れ日の中を抜けてたどり着いたその店は、煙とざわめきに包まれていた。

いせやの歴史と変遷

いせやのルーツは昭和3年(1928年)、吉祥寺で創業した精肉店。戦後の復興期、昭和29年頃にはすき焼き屋として2階で営業を始め、やがて1階も飲食業へと転換。

焼き鳥の提供が始まったのは、まさに庶民の外食文化が芽吹き始めた時代だった。

高級なすき焼きよりも、もっと気軽に、もっと安く、肉を楽しめる形が求められていた。

いせやはその空気を読み取り、一本数十円の焼き鳥というスタイルに舵を切ったという。

現代のいせや公園店の魅力

現在の公園店は、1960年に開業し、2013年に建て替えられた店舗で営業している。

木の温もりを感じるモダンな造りながら、どこか懐かしさを残す佇まい。

総席数は約350席と広く、テーブル席、カウンター席、そして屋外のテラス席があり、春には桜、夏には木陰、秋には紅葉、冬には澄んだ空気と、吉祥寺の四季を味わえる空間。

インスタとかである左右対称の写真かと思ったら見る位置によって逆になる暖簾

厨房から立ちのぼる煙と香ばしい匂いは、精肉店時代の記憶を今に伝えるよう。

現在は一本100円から楽しめる焼き鳥を中心に。

豚のカシラやシロ、タンなど、肉屋ならではの部位が今も健在で、串の一本一本に“肉の目利き”の歴史が宿っているようだ。

食べ応え十分で逆に噛めないやきもの。

多様なスタッフと地域への寄り添い

そんな歴史を、ふと店員さんに話してみた。「昔はすき焼き屋だったんですよね?」と。すると返ってきたのは、あっさりとした

「シラナイ」。

そりゃそうだ。焼き場の向こうに立つのは、東南アジア系の若者たち。いせやは今、たくさんの外国籍スタッフを雇用している。今の政治の話題とは少し距離を置くが、彼ら彼女らの生活の支えになっているのだろう。ここにも、いせやの“庶民に寄り添う”姿勢が滲んでいる。

ふと「勉強も頑張ってくださいね」と声をかけると、

「ナンのベンキョー?」と返される。

「だって学生さんでしょ」と聞いたら、

「ゼンゼンチガウ」と一蹴された。

そうか、彼らは“働きに来ている”のだ。夢の途中ではなく、今この瞬間に生きている。

いせやの串は、昭和の精肉店の記憶を宿しながら、令和の多様な暮らしを支えている。一本100円の焼き鳥の向こうに、いろんな人生が立ちのぼっている。煙の中に、歴史と今が混ざっている。

いせやは本日も晴天である。 第27話終了


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