タバコを吸う人には、ちょっと真面目な顔をして詰め寄る。
「なぜ、タバコを吸っているのか?」
困ったら「原点に返れ」とは有名な言葉だ。
さて、自分の話をすると、最初にタバコを吸った理由は明快だった。
モテたかったからだ。
その仕草に色気があった。ちょっとした悪さもあった。そこに恋の予感があった。
キムタク、織田裕二とテレビやスクリーンの主人公たちは、みなタバコを吸ってはかっこよさを増していった。
彼らは、夜の街角でネオンに照らされながら、無言でタバコに火をつける。ライターの火が一瞬だけ顔を照らし、その表情に影が落ちる。煙をくゆらせながら、何かを背負っているような沈黙を纏う。誰にも語らない過去があるような、そんな雰囲気をまとっていた。
時には、激しいアクションのあとに一服する。血の気が引いた顔で、震える手を抑えながら火をつける。タバコの煙が、戦いの余韻を静かに包み込む。
またある時は、恋人との別れ際に吸う。言葉にならない感情を、煙に託して空へと逃がす。吸っては吐く、そのリズムが、心の揺れを映していた。

そして、みんな憧れた。
ただ、時代は時に残酷である。
かっこよかったはずのタバコは、電子化され、まるで子供のおもちゃのようなものになり、そこにインテリジェンスもない。
また、煙に対して誰かが顔をしかめることが増え、女性に「臭い」と言われ、モテるどころか嫌がられていく。
ストレス解消だったはずが、喫煙所はどこかと目を光らせ、遠くへ立っていく。
一番タバコの吸う本数が増える居酒屋やコーヒーショップは全面禁煙になり、ちょこちょこ外に行く。そんな肩身の狭い思いをする瞬間が増え、ストレス解消のはずの一服が逆にストレスの供給源になっていた。
もはや吸うことの目的はないのだ。
それでも吸い続けたのは、単に惰性だった。ただ、きっかけが足りなかったのだ。
それでも一つの皮肉は残った。
吸っていた頃もモテていなかったし、やめた今もやっぱりモテていない。
期待していた劇的な変化は起きなかった。だが、ここに正直に言えることがある。
喫煙というシグナルを手放したことで、他人の評価に頼る時間が減った。モテるための道具としての自分を演じる必要がなくなり、代わりに自分が本当に好きなことに小さな注意を向けられるようになった。
思えば、「モテたい」という気持ちは、誰かに認められたいという願望の裏返しだった。
タバコを吸えば、少しだけ大人びて見える。少しだけ危険な香りがする。そんな演出を通して、自分の存在を際立たせようとしていたのかもしれない。だが、演出は演出でしかなく、そこに本当の自分がいたかどうかは怪しい。
今思えば、あの頃の自分は、誰かの視線に自分の価値を預けていた。
タバコを吸うことで「かっこいい」と思われたい。そう思うことで、自分自身を保っていた。
結局のところ、モテるかどうかはタバコの有無で決まらない。だが、タバコをやめたことで得たのは、誰かの視線より自分の時間を優先する静かな自由だ。それは地味で目立たない変化だが、自分には確かに価値がある。
吸っていた頃の自分には拍手はなかった。だが、今の自分には余計な演出がない分だけ、少しだけ誇らしい気持ちがある。
なんて、語ることで、モテるんじゃないかと考えている。
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