「酒を断つ」といった強い決意を持っているわけではないのだが、ここ数日間、毎晩の晩酌という習慣を意識的にやめている。
これは自分にとってはなかなかの変化である。なにせ、これまでの生活では、夕方になると自然と冷蔵庫に手が伸び、缶ビールをプシュッと開けるのが日課だったのだから。
その理由はいたってシンプルで、「時間をより有効に使いたいから」。ただし、最初に晩酌をやめようと決意したときは、もっともらしく「ダイエットのため」と自分に言い聞かせていた。口ではそう言っていたし、周囲にもそう説明していた。だが、実際のところ、酒をやめたからといって食生活が劇的に改善されたわけでもなく、間食が減ったわけでもない。むしろ、酒を飲まない分、甘いものに手が伸びるようになった気さえする。
だからこそ、ここは潔く「ダイエットのため」と偉そうに言うのはやめて、「時間の有効活用」と言い換えることにした。その方が、今の自分の実態に近いし、何よりも気持ちが楽になる。実際、晩酌をしない夜は、頭が冴えていて、こうして文章を書く時間が生まれている。これはなかなか悪くない変化だと思う。
今回、自分のなかで決めたのは「家での晩酌をやめる」ということ。」
外での飲み会や食事会まで完全に断つつもりはない。あくまで、家で一人で飲む習慣を見直そうという話だ。
というのも、一人でちびちび、いや、時にはガバガバ飲んでいても、正直なところ、そう楽しいわけでもない。テレビをぼんやり眺めながら、つまみをつつき、気づけば食べ過ぎている。
酒が進めば食も進む。結果として、体重も増える。そんな「癒しの体」とも、そろそろお別れしたいと思ったのだ。
とはいえ、家での晩酌をやめると、自然と外での食事が許容されるようになる。
職場での会話の最後に「今度、また、食事行きましょうよ」と口にする自分がいる。これまでなら、そんな言葉はあまり出なかった。家で飲めばそれで満足だったからだ。しかし今は、誰かと食事をすることが、ちょっとした楽しみになっている。
この変化は、フロイトの「心の構造」理論にある無意識の働きなのではないかと思う。つまり、意識では「晩酌をやめよう」と思っていても、無意識のなかでは「お酒を飲みたい」という欲求がくすぶっている。その欲求が、「食事に行きましょうよ」という言葉として表出しているのではないか。そう考えると、自分の言動の裏にある心理が少し見えてくる気がする。
人間の行動は、意識だけで決まるものではない。無意識の欲求が、言葉や行動にじわじわと染み出してくる。晩酌をやめたことで、時間が生まれ、文章を書く余裕ができた。これは確かに良いことだ。しかしその裏で、別の欲求が顔を出しているのもまた事実。それを否定するのではなく、うまく付き合っていくことが、今後の自分にとっての課題なのかもしれない。
ロイトの「心の構造」理論(局所論)
フロイトは人間の心を以下の3層に分けました:
領域 | 説明 |
---|---|
意識 | 今この瞬間に自覚できる思考や感情。 |
前意識 | 普段は意識していないが、思い出そうとすればアクセスできる記憶。 |
無意識 | 意識できないが、行動や感情に深く影響する心の奥底。 |
この構造は「氷山モデル」でよく例えられます。水面上が意識、水面下が前意識と無意識です。
無意識が行動に与える影響
- 夢分析:夢は無意識の欲望や葛藤が象徴的に現れる場。
- 自由連想法:患者が思いつくままに言葉を話すことで、無意識の内容を探る。
- 症状の意味:神経症や強迫行動などは、無意識の葛藤が表面化したものと考えられる。
自我・超自我・エス(構造論)
後期のフロイトは心の働きをさらに3つの装置で説明しました:
装置 | 役割 |
---|---|
エス(イド) | 本能的欲求の塊。無意識の最深部。 |
自我 | 現実と折り合いをつけながら行動を調整する。 |
超自我 | 道徳や社会規範の内面化。自我を監視・抑制する。 |
この三者のバランスが崩れると、心の不調が生じるとされました。
とはいえ、外食が増えれば財布の中身も減る。
無意識の欲望に従っていたら、今度は意識的に節約しなければならない。
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