昭和の父と、あったかい日常の話

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今年の4月、父が静かにこの世を去った。

八十年の人生を終えたその知らせを受けたとき、胸の奥にぽっかり穴が開いたような気持ちになって――でも不思議と、感謝の気持ちもじんわり湧いてきたんです。なんとも言えない感覚。

こういう節目に立ち会うと、普段は気にも留めてなかった日常のこととか、父との何気ない会話がふっと思い出されてくる。まるで、心の奥にしまってた記憶がひとつひとつ顔を出してくるような感じで。

父は、昭和の空気をまとった、庶民的で人情に厚い人でした。一緒に街を歩いていると、反対側を歩ている人を見つけると、「〇〇さ~ん」って、大声出して、道渡ろうとすると車にぶつかりそうになり、なぜか車に怒鳴ったりしている。人と会うとすぐ握手する。冗談もよく言って、周りを笑わせるのが好きな人だった。

亡くなったあと、たくさんの方が弔問に来てくださって、思い出話に花が咲いた。

私が知らなかった父の一面や、思わず笑ってしまうようなエピソードもあって――改めて、父がどれだけ人に愛されていたか、そして私自身がどれだけ父に支えられていたかを、しみじみ感じた。

父の死を通して“日常ってほんとに尊いものなんだな”って、改めて思ったんです。
そんな気持ちも込めて、父への感謝を、いくつかの思い出として残しておきたいと思います。

私が幼稚園の途中まで住んでたアパートは、風呂もなくて、線路沿いの古い建物。

電車が通るたびに窓ガラスがガタガタ揺れてたの、今でも覚えてます。

最近は「風呂キャンセル界隈」なんて言葉もあるみたいだけど、当時は“キャンセル”っていうより、そもそも風呂がない生活。だから銭湯に行くのが、何よりの楽しみだった。

父と弟と三人で自転車に乗って銭湯に向かう時間――あれは今でも鮮明に思い出す。

電動自転車なんてない時代で、重たい自転車の前に私が立ち乗りして、後ろには弟が乗ってました。

ある日、前から歩いてきた通行人が、びっくりした顔で

「ちょっと!お子さん、後ろで落ちてますよ!」って、

大きな声で叫んだんです。

慌てて振り返ったら、弟が道路の真ん中で泣いてて。

父はまったく気づいてなくて、

「おいおい、大丈夫か~」

って笑いながら駆け寄っていったんです。

その姿に、私もつられて笑っちゃって――なんとも言えない、家族のあったかさを感じた、忘れられないひとときでした。

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